こんな話  2024年4月17日|水曜日

大阪府 天満 洗心洞 大塩平八郎の私塾を訪ねて

2024年4月中旬、桜の散り際の頃、大阪 天満橋近くにあるという、大塩平八郎が主宰した私塾「洗心洞」の史跡を訪ねました。

 

大塩平八郎の乱(1837年)で有名な大阪町奉行の与力 大塩平八郎は儒学の陽明学者としても有名で、ここ大阪の天満に私塾を構えていました。

 

場所は日本一長いアーケード商店街で有名な「天神橋商店街」から国道1号線沿いに東へ歩くこと10分。

 

今回の目的は、「洗心洞」跡地ともうひとつ、「大阪造幣局」の見学でした。

ところが、「洗心洞」史跡の看板は見当たらず、造幣局の警備員の方に道を伺いました。

すると、造幣局の通用門があるので、鍵が開いていますから中に入ってください、と言われました。

その通りに行くと、こちらの門を見つけました。

 

これです。

たどり着くのに難易度が高いです。

「関係者以外ご遠慮ください」の文字。

造幣局の係員の方に聞かなかったら着けませんでした。

敷地内は造幣局の官舎が並んでいます。

 

「洗心洞」跡。

 

「洞」は「堂」と同じく、建物を指します。

この場所で大塩平八郎は陽明学の塾を開いていたのです。

今は、造幣局の敷地内で静かに時が流れています。

 

この辺り一帯は大塩の乱で火災が発生して騒然としていたようです。

対岸は大阪城。

 

天神橋商店街に戻り歩くと、大塩平八郎親子の墓があるということでお参りへ。

幕府に対して公然と反旗を翻した謀反人ということで、お墓が整備されたのも明治30年頃。

大塩の乱から20年足らずで江戸幕府が瓦解。

時代を先んじた思想家、大塩平八郎。

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