こんな話  2022年10月30日|日曜日

大阪府堺市 百舌鳥古墳群 仁徳天皇陵・大仙古墳を訪ねて

2019年に世界文化遺産に指定された「百舌鳥・古市古墳群」のうち、「大仙古墳」を訪れました。

5世紀の前方後円墳。

「百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議 編集発行パンフレット」より

 

 

「百舌鳥エリア」の地図で一番大きい前方後円墳が、歴史の教科書でもおなじみ「大仙古墳」(第16代 仁徳天皇陵)です。

 

「大仙古墳」の下が「上石津ミサンザイ古墳」(第17代 履中天皇陵 仁徳天皇の第一皇子)

 

上の前方後円墳が「田出井山古墳」(第18代 反正天皇陵 仁徳天皇の第三皇子)

 

この3つの古墳は同じ並びになっています。

この中心線の延長線上を北に行くと大阪城天守閣に着きます。

 

その他のやや小さめの古墳は横向きになっています。

 

羽曳野市、藤井寺市の「古市古墳群」では古墳の向きがもっとランダムになっています。

中には、「応神天皇陵古墳」のように大仙古墳と正反対の向きの前方後円墳もあります。

 

一見すると無秩序ともいえるような並び方です。

ここに現代にも通じる日本の「伝統的な無秩序の秩序」が見えるようです。

なぜこのような並び方をしているか考察するのも面白いでしょう。

仁徳天皇陵の南端に行くと、お堀を越えたところに宮内庁の立て札があります。

 

 

みだりに域内に立入らぬこと

 

 

『堺鏡』によると、安土桃山時代に豊臣秀吉がここでよく狩りをしていました。

時の天下人は古墳の上で茶会も催していたようで、さすが成り上がりもここに極まれり。

ここで、ハタと気づきました。

ここまで来て、日本最大の古墳の全貌を見ることができない、ということです。

 

以前、名古屋城で織田信長のアイマスクを買ったことをこのブログでも書きましたが、そのアイマスクをしている自分の顔を直に見られない、というパラドックスがあるわけです。

 

後ろにちょうど良い高さの塔が立っていました。

これに上がれば見られるのでないか、と思いました。

函館の五稜郭にも「五稜郭タワー」があって見ることができます。

 

そこで、ガイドをされているボランティアの方に伺いました。

 

あの塔は上れますか?

 

-あれは「平和塔」です。戦争中の1945年7月10日に堺がB29の空襲にあいました。1800人以上が犠牲になり、その慰霊として戦後建てられたものです。

 

それでは上がれるものではないのですね?

 

-実はエレベーターを取り付ける計画もあったのですが、天皇陵を「見下ろす」ことになるので、それはいかがなものか、ということになり中止されました。中に階段はあるのですが、一般の人は入れません。

 

古墳を俯瞰するとなると、古墳から車で5分ほどの堺市役所の21階展望ロビーが一番よく見えるということで、早速向かいました。

360°見える展望ロビーです。

森のようになっているのが大仙古墳です。

その右の細長い塔が平和塔です。

 

右手を見ると、

堺の港や大阪湾のコンビナート群の煙突があります。

向こうには、淡路島がぼんやり。

この古墳群が大阪平野のちょうど真ん中に位置することが良く分かります。

 

百舌鳥古墳群ビジターセンターには8Kシアターがあります。

10分ほどの動画ですが、ワイドスクリーンに映し出される堺の歴史やきれいな画像は迫力があります。

 

自治都市、堺の伝統と歴史がコンパクトにまとめられています。

例えば刀鍛冶の技術から鉄砲へ、そして明治時代にその技術が自転車産業へと受け継がれることが分かります。

 

最後に堺市博物館で古墳時代を中心に「はにわ」などの古墳から出土したものを実際に見学。

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