本の紹介  2017年11月24日|金曜日

『孫子』

『孫子』 岩波文庫 講談社学術文庫 

 

大学生の頃、中国古典学者である守屋洋さんの講演を聞いたことがある。その講演会のテーマは三国志だったが、魏の曹操を中心にお話しされた。
その時、いかに曹操が「孫子の兵法」を研究して戦いに臨んでいたかを強調されていた。
興味を持った私は、すぐに本屋さんでこの本を買った。今でも同じ青色の岩波文庫である。ただし、25年間で本代は倍以上に高くなった。あの頃は300円もあれば買えた。


 

この東西史上、孤高の光を2000年以上照らし続ける『孫子』がたったの300円で買えるという奇跡にめまいがする。今なら、インターネットで無料だ。
『孫子』は紀元前500年からの歴史がある。孫武が著した兵法書ということである。簡潔にして的を射た表現で、今でも大変に読みやすい。分かりやすい。だから好きである。

孔子の「論語」は、正直叱られているような感じがする。「老子」なら、そうはいってもね、という現代人の苦悩が先に出てきてしまう。
それに比べこの『孫子』はどうだ。


え?それでいいんですかい。
確かにそれで勝つんですが、勝ちってそういうことなんでしたっけ。
と、まるで先輩のマユツバの話を聴くようだ。この人の言う事はなるほど分かるが、ついて行ってもいいのかな、と一瞬躊躇する。卑怯な戦法にも取られかねない。しかし2000年来、研究されつくしてきた不朽の名著にはちがいない。
だから、書店には山ほど解説本があるし、今でも平積みになっている。私もその中の数冊は持っている。

孫子の窓口は広い。


三国志の曹操からもあるし、源氏の神様、源義家からもいける。戦国大名、武田信玄の旗印「風林火山」もある。ナポレオンも読んでいたらしいし、クラウゼヴィッツの「戦争論」との比較もできる。ソフトバンクの社長も応用しているという。

一説によると、孫子の有名な一節「はやきこと風のごとく、しずかなること林のごとく……動かざること山のごとし」を旗印にした武田信玄だったが、孫子の兵法の考え方は、実際には日本人に合うかどうかは懐疑的だったらしい。なんじゃそれ。

私は孫子を兵法書ではなく、合理的な思考をする上での指南書と考える。
近代合理主義といえば、明治維新の頃に活躍した長州藩出身の官軍司令官、大村益次郎を思い浮かべる。
彼の参謀ぶりは、長州藩の対幕府軍との戦いからずっと孫子の兵法のセオリーに沿っていると思う。
その伝統が日露戦争の児玉源太郎にまで影響している。だからドイツ参謀本部から来たメッケルとはウマが合ったと思う。孫子の伝統があるからだ。
日中戦争や太平洋戦争では、孫子は使われなかった。毛沢東や米軍は熟知していたと思う。

 

私は受験指導に応用する。
とくに「勝兵はまず勝ちて後に戦う」という一節。
受験生には合格を確信させてから、悠々と入試に向かってほしい。
そこには緻密な計算のもとの準備がなければならない。

私はかつて、長年、入試対策の特訓で歴史を担当してきた。
1回の授業がおよそ100分で全5回の講義。大教室に80人くらいが受けてくれた。その中で入試に出る問題を予想するのと同時に歴史を古代から現代史と文化史まで一気に復習する。私はこの特訓で、入試予想的中率97%をマークした。一問以外、すべて授業で説明することができた。この高確率には、実は孫子の兵法を応用した授業準備があった。

 

孫子には非常に切れ味のするどい一節がある。
「君命に受けざる所あり。」
君主の命令はどれを受けても良さそうであるが、受けてはならない命令もある。

この一節はいろいろ解釈できる。

 

君主の命令を受けないとどうなるか。
第一次世界大戦で敗戦したドイツの例が分かりやすい。
ドイツ皇帝は外国に亡命してしまい、ビスマルク以来の鉄血のドイツ帝国は瓦解した。
しかし!敗戦の当事者であるドイツ参謀本部はその後も生き延びたのである。君命を無視し、国が滅んでも組織は生き延びる。そしてナチス政権下でもしぶとく生き延びた。だからこの一節には、組織の得体のしれないニヒリズムの香りがするのである。

 

反面、この「受けてはならない命令」というものは、個人ができる権力との対峙法にもなる。ブラック企業対策になるかもしれない。

組織にいると、確かに「受けてはならない命令」というものがある。その命令を受けるかどうかがその人の人間性となる。


孫子の兵法での主体をどれにするかで、全く違う教訓を導き出せると思う。だから、いつ読んでも、自分の考え方、年齢、立場によって、ちがう解釈ができる。名著と呼ばれるものはそういう書物だと思う。

ちなみに書店では「孫子」の解説本があふれるように置いてある。できればあまり読む必要はない。それよりも暗唱するぐらいに原典を覚えて応用力をつけた方が良い。
私にとって座右の銘といえるのは、まずこの『孫子』である。

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