塾の日記  2019年9月28日|土曜日

小牧山のふもとで、織田信長ゆかりの「能」を鑑賞。

織田信長の城、小牧山城。

小牧山城は、織田信長が清州城の後に作った城です。

1560年桶狭間の戦いで勝利した後、本格的な美濃攻めを開始する4年間、信長の居城でした。

 

その後、信長は美濃斎藤氏の稲葉山城を落とし、本拠地を岐阜に移します。

そこで、城下町を作り、楽市・楽座をはじめます。

さらに、安土城を築城、天下統一を目指していきます。

 

小牧山では現在も発掘作業が行われています。

これまでに、信長の家臣の佐久間信盛を示す、「佐久間」という墨書きの石材が発見されています。

また、石垣づくりのプロ集団「穴太衆」(あのうしゅう)が施工に加わったらしいことも分かりました。

 

小牧山のふもと東側に信長の館、南側に城下町が形成されてました。

確かに今でも南側の道は、無意味にカーブを描いていたり、カギ型のように折れていたりしています。

敵の侵入を阻むためのようです。

 

 

かがり火のもと、演じられる屋外の「能」

信長の館跡は、現在小牧市の公園になっており、そこで毎年9月に恒例の「薪能」が演じられます。

ここ2年は雨のため市民会館の屋内で行われましたが、今年は無事天候も落ち着き、3年ぶりに夜空の下で行われました。

惜しむらくは、雨があがったばかりで雲が多く、月が見られなかったことですね。月光の中で見られたら、もうそこは戦国の世にタイムスリップです、

 

かがり火を焚き、揺らめく炎の光の中で、幽玄に能が演じられます。

限りなく当時のままで鑑賞できますので、織田信長もこのように能を楽しんでいたことが想像できます。

 

歴史の授業で室町文化を教える時、私は「能」と「狂言」を『実演』することがあります。

そこは、やたら「イヨー、イヨー」と言いながら、鼓の代わりに、プラスチックのゴミ箱の底をたたくという、はなはだ宴会芸に等しいお粗末さではありますが。

今回の経験から、さらに私の「能」力が上がることでしょう。

 

 

「能」は写真撮影禁止なので、同じ会場でライトアップされていた和傘の画像をあげておきます。

 

 

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