こんな話  塾の日記  2022年2月3日|木曜日

教養堂開塾4周年

本日2022年2月3日、教養堂KYOYODO 開塾4周年を迎えました。

 

4年前、2018年2月3日 節分の日に、満を持して教養堂は開塾しました。

その日はちょうど日曜日で大安。

お昼に知人がお祝いに駆けつけていただいたり、遠方からお花をいただいたりしました。

はじめてのお問い合わせのお電話を受け取った時には、手が少し震え声がうわずりました。

 

あれから4年。

長いようで短い

短いようで長い

などとよく言われますが、いや、まさにその通りです。

 

市井に沈潜する一つの塾ではありますが、

教養堂に通ってくださる塾生とその保護者様には、このご縁を大切にし、

私の人生と私の責任をもって指導にあたる所存です。

 

開塾以来ずっとリニューアル

4周年を迎えるにあたり、教養堂の教室内部をさらにリニューアルしました。

春ごろには、教養堂の外観も大幅にリニューアルします。

その時に一応の完成を果たしますので、もう一度、教室のすべての写真を撮ろうと思います。

お楽しみにお待ちください。

 

教養堂フレーズ第3弾

4周年と5年目突入で、教養堂のキャッチフレーズを変えることにしました。

こちらの教養堂ホームページのTOP画面に、ロゴが出たあとに表示されるフレーズです。

ようやく、教養堂を表す顔となる言葉を掲げることができました。

 

「学力と知的好奇心、そして教養をはぐくむ。」

 

これは、開塾当初からすでに「塾長ご挨拶」のリード文にあるものでした。

それを今回あらたに、TOP画面のキャッチフレーズに押し出しました。

 

塾として、「学力」の確保と向上は、まず第一の責務です。

 

そのうえで、うわべだけを触るような学習指導ではなく、

感性から湧き起こる「知的好奇心」を喚起してあげたい、

 

そこからさらに「教養」をはぐくみたい、

 

そんな気持ちからできました。

 

「教養」は植え付けることはできませんし、教え指導するものでもありません。

しかし、

「はぐくむ」ことは、この教養堂という塾でもできるのではないか、

少なくともそれを志向する場所でありたい、と考えています。

 

「はぐくむ」に込めた教養堂の理念

「育む」は「はぐくむ」と平仮名にしました。

 

「はぐくむ」という平仮名の語感なども含めて教養堂の温かさを表現しております。

学問は「他社との競争」や「点数化」、「格付け」ではない部分があるということ、

または「進歩」や「向上」といった直線的な進化論では語り得ないものであると考えております。

 

「はぐくむ」には、「養い育てる」という意味があるように、「教養」にも通じる言葉です。

 

もともと、「はぐくむ・はぐくみ」は、奈良時代の万葉集からこの言葉は見られます。

親鳥がひな鳥を羽でおおい包む、という意味ですでに使われています。

そういう意味では、子育てに使われる、日本古来の大和言葉です。

 

は‐ぐく・む【育】

〔他マ五(四)〕 (「羽包(はくく)む」の意)

① 親鳥がひな鳥を羽でおおい包む。

② 養い育てる。養育する。また、世話をする。面倒をみる。

③ いつくしみ大切に扱う。かわいがる。

④ いたわり守る。かばう。また、精神や感情を大切にしてそれを伸長させる。

⑤ 治療する。療養する。

 

万葉集 第9巻

旅人の

宿りせむ野に

霜ふらば

吾が子はぐくめ

天の鶴群(たづむら)

 

意味: 旅人が野宿する野に霜がおりたら、私の息子をその羽で守ってあげてください。空を飛ぶ鶴たちよ。

733年(天平5年)に遣唐使船が難波を出発するときに、ひとりの遣唐使の母が、息子の無事を祈って詠んだ歌。

 

万葉集第15巻

大船(おおぶね)に

妹(いも)乗るものに

あらませば

羽ぐくみ持ちて

行(ゆ)かましものを

 

意味:この大船に私の妻が乗っても良いのだったら、羽でつつんで守るようにして連れてゆくことができるのに。

736年(天平8年)に遣新羅使が別れを惜しんで妻に贈った歌。

 

 

教養堂的イメージ 「はぐくむ」から「円環状」

「はぐくむ」には、包み込む同心円状の輪のような円環のイメージがありますし、その輪を広げていくイメージがあります。

少しずつ広がりを見せる、「年輪」のようなものでもあります。

または、蚕が繭を作るような、蜂が巣を作るように。

 

 

 

決して一方向の直線ではありませんし、比例的なイメージでもありません。

 

よく宣伝広告には、右肩上がりの比例的な直線や、2次関数的な放物線を見かけます。

近代以降の、時間の経過とともに進化・進歩するのが絶対善であるとする前提意識がそこにあると思いますが、教養堂はそのように捉えてはいません。

 

 

このイメージは、おそらく塾長の私が全国の縄文遺跡を巡る研究をライフワークにしているからだと思います。

特に北海道や北東北の縄文遺跡に見られる、神聖で祭祀的な場所だったところには、「環状列石」(ストーンサークル)が見られます。これは大掛かりな日時計だとも言われますが、今から見ても神がかりな石の配置をしています。

 

多くは長い年月をかけて、幾重にも石を並べていく永久的な円環のモニュメントを縄文人は営々と続けてきました。

一周しても終わらず同心円状に石を配置し続けています。

 

一つの説によると、それは、あえて未完の状態を作り出しているとも言われています。

 

まさに教養はこのように重ねて広げて深めていくものだと思います。

 

その子その子が持っている内面の可能性を探り当て、

特性を引き出し、

包み込むような気持で見守りながら、

同心円状に広げ、

年輪を重ねるように、

繭が大きくなるように、

はぐくんでいきたいです。

 

学力と知的好奇心、そして教養をはぐくむ。

 

教養堂はこれからもそのようにありたいと願っております。

 

KEYWORDS

お問い合わせ

top