こんな話 2026年4月10日|金曜日
島根県 松江市 国宝松江城を訪ねて 堀尾吉晴公に拝謁する

下関から山陰本線を乗り継ぎ乗り足し、揺られ揺られ、松江に到着。
鈍行列車から見た宍道湖の夕景が素晴らしかったです。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、松江の朝は米つきの音から目覚めましたが、
私の目覚めは、宍道湖に流れる大橋川を行く、船の音で起きました。
早朝、宿から外を眺めると、辺り一面霧に覆われていました。
早春の松江の朝は、昨晩の小雨が上がり、真っ白な霧で幻想的でした。

宿から歩いて、松江城へ。
国宝として堂々たるものです。
戦国時代の終わり、松江城を築城したのは、現在の愛知県大口町の出身の堀尾吉晴です。


このため、現在でも大口町と松江市は交流があります。
大口中学校の中学3年生の修学旅行先は島根県なのです。

もともと、堀尾吉晴は、尾張の岩倉織田家の家臣でしたが、清州の織田信長に滅ぼされ、以後浪人の身になりました。
その後、豊臣秀吉の家来になり、頭角を現します。
そして秀吉から家康へ家臣となり、最後は松江の大名になりました。
のちの土佐の大名になった山内一豊と同じ歩みといえます。




城内に井戸がありますが、これがすごく深くて、除くと怖いくらいです。


城から眺める宍道湖。
日本海と宍道湖を堀でつないで築城した松江城。
お堀を屋形船が60分くらいで一周します。


冬場は船にコタツが入り、暖かいです。
時より橋をくぐる時に屋根の高さを調節します。
これがかなり低くするので、乗客は頭を床につけるくらいにかがまなくてはなりません。
これも一興です。


松江城の北側を散策します。
すると、向うの方から誰か歩いていらっしゃるではありませんか。
あの方は、もしや……?

初代松江城主!
堀尾吉晴公ではありませんか!
なんと。
……本人です。
証拠に名刺をいただきました。

その場で、「花押」もいただきました。
やさしい方でした。
名刺には「仏の茂助」とあります。
堀尾吉晴は、いつも人にやさしい方で、「仏の茂助」と呼ばれていました。
しかしひとたび戦となると、猛将となり、「鬼の茂助」とも呼ばれたのです。
旅の良い記念となりました。
松江城の北からお堀を抜けると、小泉八雲の旧宅の記念館があります。
その記事はまた次回へ。
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