こんな話  2022年9月28日|水曜日

大分県日田市 咸宜園 広瀬淡窓を訪ねて

桂林荘雑詠  示諸生

 

広瀬淡窓 作

 

休道他郷多苦辛
同袍有友自相親
柴扉暁出霜如雪
君汲川流我拾薪

 

 

書生に示す 桂林荘雑詠

 

道うを休めよ 他郷苦辛多しと
同袍 友有り 自ら相親しむ
柴扉 暁に出づれば 霜雪の如し
君は川流を汲め 我は薪を拾わん

 

 

 

(現代語訳)

故郷を離れて苦労が多いとは言うな。
ここには志を同じくする仲間がいる。
助け合いの楽しみも自然と生まれてくる。

夜明けに柴の戸を押して外に出ると、霜が雪のように積もっている。
君は川の水を汲め。私は薪を拾おう。

 

 

 

江戸時代の幕末の教育者 広瀬淡窓(1782-1856)の有名な七言絶句。

かつては中学2年生の国語教科書で、杜甫や李白、孟浩然の漢詩と並んで必ず紹介された詩です。

残念ながら近年は掲載されていません。

 

咸宜園(かんぎえん)は、広瀬淡窓が主宰した幕末期に全国から塾生を集めた私塾です。

前身の桂林荘が1805年(文化2年)創立、明治維新をはさんで1897年(明治30年)まで存続。

塾長は初代の淡窓から10代目まで。

 

 

「咸宜」とは中国の古典「詩経」からの由来です。

 

殷、命を受く

ことごとくよろし

(咸く宣し)

 

 

つまり、「みんないいんだよ」という意味で、塾生ひとりひとりの個性を尊重するという理念が塾名になっています。

 

 

上記の漢詩は「咸宜園」の前身の塾「桂林荘」時代のものです。

この詩を読むと小さな塾の様子が牧歌的に聞こえます。

 

淡窓は日田の豪商の長男として生まれましたが、弟に家督を譲り自分は教育者としての道を歩みます。

 

若い頃は福岡に出て、「亀井塾」で学びます。

「漢委奴国王」の金印を鑑定した学者、亀井南冥の塾です。

 

病気がちだった淡窓は日田に帰った後、教育者として身を立てることを決意。

自分の塾を開きます。

 

最初はお寺のお堂を借りて、塾生2人からスタート。

一緒に寝食を共にする、小さな塾として始まりました。

 

 

鋭きも 鈍きも ともに捨てがたし

錐(きり)と槌(つち)とに使い分けなば

 

 

この咸宜園の「いろは歌」も有名です。

塾生それぞれの個性を伸ばす心構えの理念がうかがえます。

 

 

今回の旅では、まず大分県の宇佐八幡宮をお参りしてから別府市へ。

そこから山を越えて日田市に入ります。

 

別府から日田までは途中、温泉地の由布院を経由する「別府日田往還」というルートを通ります。

このルート、バイクのライダーには阿蘇に次いで人気のあるコースです。

九州山地の北部、くじゅう連山の麓を通る絶景コースです。

山をいくつか越えると、日田市に入ります。

日田市は最近では漫画「進撃の巨人」の原作者 諌山創 の出身地としても観光スポットになっています。

なるほど、周囲を山で囲まれた盆地に位置する日田。

まわりが壁でおおわれた設定と似ています。

 

日田は江戸時代、「天領」(幕領)で幕府の直轄地でした。

広瀬淡窓の実家は日田の中心地の豆田の豪商です。

幕府の仕事も担っていました。

そのため幕末に広がった尊王攘夷運動の影響がみられません。

純粋に教育者として、晩年には「敬天」の思想を追求しました。

 

豆田町は今も江戸時代の町並みが保存されていて歩くのに気持ちがいいです。

通りから少し離れたところに咸宜園の跡地があります。

 

実際に訪れてみて驚きました。

上記の漢詩を念頭に、可愛らしい小さな塾の跡、というイメージで行くと軽く裏切られます。

 

 

 

敷地が広大で驚きます。

道をはさんで、東と西に跡地が今も更地になっています。

もともともは総二階建てで東と西にそれぞれありました。

最盛期は200人以上の塾生がいたそうです。

 

これは、ほぼ大学の規模です。

塾生2名から始まった塾が幕末から明治初期までに全国に名を広め、ほぼ全国から塾生を集めました。

江戸時代の日本最大級の塾で5,000人が学びました。

 

先生の名前がすでに地名になっています。

復元された塾舎のほんの一部。

 

咸宜園の入塾基準があります。

 

「三奪法」

 

・年齢を奪う

 

・学歴を奪う

 

・身分を奪う

 

 

入門したのならそれまでの経歴や身分階級をなくし、同じ塾生として扱いました。

また塾生にはそれぞれ係が与えられ、一人一役仕事がありました。

今の委員会のようなものでしょうか。

 

日課

  5:00 起床 清掃

  6:00 自習 (輪読)

  7:00 朝食

  8:00 勉強 (聴講・会読・素読・質問)

12:00 昼食・休憩

13:00 勉強

14:00 試験

18:00 夕食・休憩

19:00 自習 (夜学)

22:00 就寝

 

主な塾生

高野長英(蘭学者)

大村益次郎(長州藩士・戊辰戦争時の軍監)

上野彦馬(写真家)

長三州(文部省創設・学制を整える)

清浦圭吾(第23代内閣総理大臣)

などなど。

 

 

「遠思楼」

1階が書庫、2階が淡窓の部屋。

 

広い敷地に充実した資料館。

3時間くらいずっと見学していると学芸員の方から熱心ですねとお声をかけられました。

そこで一緒に案内していただけることになり、お話を伺うことができました。

閉館間際まで長居をしました。

 

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