本の紹介  2017年11月24日|金曜日

『小僧の神様』

『小僧の神様 他十編』 志賀直哉 著 岩波文庫

 

明治大正期に国語としての日本語はほぼ仕上がった。夏目漱石と森鷗外によって「だ、である」調の常体表現がまず完成。大正期に、白樺派の武者小路実篤や志賀直哉、そして菊池寛、芥川龍之介などで「です、ます」調の敬体表現も完成を見る。昭和初期に、宮沢賢治が続く。

だから、子どもたちには読書としてこれらの時代の作品群は必読としてお勧めする。

 

さて、志賀直哉の『小僧の神様』は小学校中学年でも大丈夫。まるで落語を聴くように理解できる。日々自分らしく生きていれば、誰かが見てくれるという観念をしっかり教えてくれる作品だ。誰かというのは、もしかしたらいないかもしれないが、誰かが見ているという感覚を持つという事が大事だと思う。

そして、その感覚が自分らしく生きるという日々に勇気を与えてくれる。

同じ短編の『清兵衛と瓢箪』はさらに重要作品だと思う。

清兵衛は他者から決して影響されて揺らぐことはない。日々の生活でしっかりと自分の生活をしている。視点はつねに自分であり、自分の価値観に素直に従っている。物の価値を自分で定めることができるのはすごく大切なことだと思う。清兵衛にとって、瓢箪を所有することは自分の世界を構築することで、何人たりともその世界に入れさせはしない。しかし、大人たちがその世界を世間の常識でつぶした時、清兵衛にとって失望ではあったが、別の新しい世界をさらに作り上げている。この清兵衛のたくましさに驚く。

ある世界観を自ら作り上げることができれば、応用が効いて、別のまた新しい世界を構築できるタフさが生まれるのだろう。

 

これらの志賀直哉の短編は、すごく客観的に淡々と書いてあるようだが、何回読んでも、その豊潤な内面の世界がイメージできる。明治維新から50年で、日本語の口語文体はここまで到達してしまった。その後、100年間。日本語は今でもその影響下にある。そして、その言語で思考する。単に国語としてではなく、思考力まで文豪たちの文体は影響をあたえ続けている。

 

子どもたちにはこれらの作品群を読み飛ばすだけでなく、しっかりと身体に落とし込んでほしいと思う。

 

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