こんな話  2017年11月24日|金曜日

O先生のおもいで

私は塾講師になった3年目の24歳にして塾の一校舎の責任者になってしまった。

なってしまった、という表現が当てはまる。

まだ授業力も人間としても未熟だったのに、なってしまったのだ。しかし当時の私はそんな怖れもなく若さだけが取り柄の校舎運営をしていた。

 

校舎長として2年目の頃、同じ校舎のスタッフとして、私より一回り以上年長の中途入社の方が部下として入った。26歳の私の部下が42歳。その方がO先生だった。

 

O先生は元高校教師だったが、教師を辞めてから弁護士になるため司法試験の勉強をしてきたのだという。何年間かずっと勉強を続けたという事だったが、見切りをつけて塾の世界に入ってきた。

 

私はすぐO先生の幅広い教養に尊敬の念を抱くことになった。専門は世界史だったが、それにとどまらない博識は底知れぬものを感じた。

だから、立場は上司と部下だったかもしれないが、私は今でもO先生の教え子の一人だと思っている。そしてそれが誇りでもある。

 

O先生は社会に対する感性がするどく、政治経済の今動いている出来事の紹介をたびたび授業の冒頭で子どもたちに話していた。それは大人が聞いても勉強になる事があり、私はよく教室の外で立ち聞きしていた。

そのうち授業開始前の夕方までO先生との雑談が私の日課になった。知的な雑談というものは最も勉強効果がある。

今でも、あの雑談が私の考え方に大きな影響をおよぼしていると思う。言ってみれば、それが私にとってO先生の授業だった。

社会への批判精神も鋭かった。特に官僚的なものに毛嫌いをしていた。深くは聞いていないが、教師時代に何か憤ることがあったのだと想像する。でなければ、教師を辞めてまで弁護士になる決心をしないだろう。

学習塾と言ってもそれが会社組織であれば、組織の論理が生まれる。本質とずれることもある。そういうことにもO先生は敏感だった。O先生は社会科の会議に所属していたが、そのリーダーの部下に対する権威的な態度にはいつも腹を立てていた。

 

ある時、中3の女子3~4人が事務室に来て、中学校の担任の先生の学級運営にいかに納得がいかないかを訴えていた。私とO先生はじっくり話を聴いた。詳しくは今では忘れたが、どう考えてもその先生の運営は強引なものだった。O先生は、それはおかしいからしっかり先生に伝えて改善するべきだと言った。そのあとにこうアドバイスした。

「みんなで先生の所に行って話した方が良い。そして理論立てて落ち着いて話す。ちゃんと理論武装をした方がいいよ。それには……。」

O先生は学生運動の世代ではなかったはずだが、何かその残り香を感じさせた。もう少し言うと知識人の独特な感じがあった。その源流である大正時代の教養主義の伝統にもつながるものがあった。

今ではインテリというものはフランス帰りのイヤミ程度にカリカチュアされてしまったが、私は塾講師というものは市井に沈潜するインテリを自任すべきだと思う。

 

O先生とは2年あまりを同じ校舎で一緒に働いたが、人事異動でその後別々の校舎になった。会議で時々顔を合わせると立ち話をする程度にはなったが、話すといつも知的好奇心をくすぐられた。

ある年の2月初頭の寒い時期、空が晴れ渡った小春日和、ビルの11階の会議室で会議の休憩中にO先生と一緒に北側の窓越しに立山連峰と白山を眺めた。雪を被って壮麗だった。

 

O先生は登山スキーの経験もある本格派、私もワンゲル部出身だったので、お互い山好きだった。二人で缶コーヒーを飲みながら北の山々の稜線を眺め雑談をした。

今思うと会議で話し合われたことなどもう覚えていないが、O先生と一緒に眺めた2月の山々は私にとって大きな思い出となっている。

 

O先生は年の割には3人の小さなお子さんがいたから、健康には人一倍気を使っていた。だから、健康のためにサイクリングを始めていた。

 

それから数年後、秋晴れの雲一つない日の正午前、一本の電話が入った。

O先生が亡くなったという。

サイクリングの途中で自動車と接触して病院に運ばれた後、息を引き取ったとの事だった。

 

もっと話しておくのだった。もっとO先生に聞いておきたいことがあった。

私は後悔した。

その時に知った。

教養とはチャンスである。ここぞという時に聞いておかないとその機会は失われる。後はない。

 

O先生にある日聞いたことがあった。

好きな漢詩は何ですかと。それが李白の山中問答だった。私も好きな漢詩だったので嬉しかった。

 

山中問答 李白

 

問余何意棲碧山   余に問ふ 何の意ぞ碧山(へきざん)に棲むと

 

笑而不答心自閑   笑って答えず 心自から閑(かん)なり

 

桃花流水杳然去   桃花流水(とうかりゅうすい) 杳然(ようぜん)として去る

 

別有天地非人間   別に天地の人間(じんかん)に非(あら)ざる有り

 

 

 

【現代語訳】

「どういう気持ちでこんな緑深い山奥に住んでいるのか」

人が私に尋ねる。

私は笑うばかりで答えない。

心はどこまでものびのびしている。

桃の花びらを浮かべ、水はどこまでも流れていく。

ここは俗世間とは違う、別天地だ。

 

 

O先生が高校生の頃に出会った漢詩だが、「笑って答えず」というフレーズが妙に流行ったという。

今ではO先生は私の思い出の中でしずかに笑って答えないが、何か勉強をするという行為は、俗世間とは違う、別天地にいる心持ちですべきだと、今でも私に教えていただいている気がする。

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