こんな話  2017年12月11日|月曜日

教養堂の源流Ⅰ

教育というものを追求すると、日本では儒教にあたることが多い。避けては通れない。

儒教を始めた孔子の教えが書かれてある論語には、教育に関する大抵のことはすでに書かれてあるかもしれない。

 

 

孔子『論語』 巻第四 述而第七

 

子曰 志於道 據於徳 依於仁 游於藝

 

子の曰はく、道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に遊ぶ。

 

訳:先生がいわれた。「正しい道を目指し、徳を根拠とし、仁によりそって、芸すなわち教養のなかに遊ぶ。」

 

 

論語の中に記されている言葉、「游於藝」。

藝(芸)は今でいう「教養」、「游」(遊)という字には泳ぐという意味がある。

 

白川静博士の「常用字解」によると、「遊・游」という字は本来、旗を持つ人の形だ。

旗は自由にはためく。だからこの旗には神々が気ままに動くような、神霊が宿るとされた。そこから自由気ままにうごく様子で「遊・游」の字ができた。

 

勉強することは本来、心のおもむくままに自由に泳ぐように遊びなさい、と論語ではいう。

 

「藝」(芸)の字は、苗を土に植える人の形。

ここから、「技」という意味ができた。

「技」から、「技術」「芸術」という意味に発展した。

明治初頭、日本の哲学の祖、西周博士は、「art」という英単語を「技術」と訳した。

これが、liberal arts (リベラル・アーツ) →  自由人の技術 → 教養 となる。

西は中国古典の言葉を正確に捉えており、それを正確に英単語から日本語に訳した。

 

苗を植える人が「藝」(芸)につながるとは。

苗を植えて成長を待つまでに様々な技術がいるだろう。時間もいる。

だからじっくり腰を据えて長い目で見なければいけない。

 

「游於藝」(芸に遊ぶ)

短い言葉だがなんと奥が深いのだろう。

 

教養堂はこの言葉を重んじたい。

設立前に茨城県水戸市にある旧藩校「弘道館」の記念館を訪れた。

導かれるようにこの場所を訪れた。

幕末期に水戸藩九代藩主 徳川斉昭によって設立された当時随一の藩校だった。

その学問所に掲げられている額には、この論語からとられた「藝於游」の文字がある。(右読み)

 

遊び泳ぐように学問をしたらどんなに楽しいだろうか。

 

 

 

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