こんな話  2019年12月22日|日曜日

教養堂の依って立つもの

Ⅰ あらためて喜びと責任を感じて

私が自分の塾である教養堂を開いて2年あまり、こうして塾生のみなさんが教養堂に集って一緒に勉強できることは、私にとって無上の喜びである。

私の生涯の中で、自分の塾を持つことができたということだけで、私は確かにこの世に生きることができたと実感している。

塾生にも、その子その子の自分の人生を生きる確かな喜びを将来にわたって感じてほしいと願っている。

 

自分の塾を営むということは、同時に計り知れない責任を負っているということであることも重々承知している。

私が名付けた「教養堂」という名の塾で、私が作った教養堂の理念、「知的な自由人として社会で活躍するための知的好奇心と教養、学力を育む」という理念を掲げる教養堂という塾に、大事なお子様をお預けいただいた保護者様に、私は誠心誠意、御期待に応えなければならないと重責を感じている。

もちろんまだまだ力不足であり、十分な期待に応えられてはいないと日々自省の念に駆られている。

 

ここで教養堂がどんなことから依って立つ塾であるのか、教養堂における塾の先生とはどのような存在であるべきかを、教養堂と私自身を振り返る意味でも、ここで自問自答してみたい。

これは教養堂の塾長としての私自身の現在の一時点での心境を述べたものにすぎないので、どうぞ寛大なご理解を賜れば幸いである。

 

Ⅱ 塾の依って立つもの

現在の塾、もしくは学習塾の塾の先生には基本的に何らかの認可制度や免許制度があるわけではない。

アーティスト、ミュージシャン、プロデューサー、マネージャーといわれる職種と同じだと捉えている。

 

企業的な塾であれば、それは入社試験や入社面接に合格して入社することで、一応の人物保証の代わりにはなるかもしれない。

個人塾においては、いわんや開塾してまだ年数が浅い教養堂のような塾にとっては、まさに通っていただいた結果や成果、日々の指導などに対する保護者様の評価、塾生からの信頼などによって塾の優劣が決まると言っても過言ではない。

 

Ⅲ 塾が内包するもの

塾というのは最近からあるものではなく、何百年も前から日本にはある。

ここで日本の塾の歴史を振り返るつもりはないが、江戸時代の幕末期に、幕府の学校や各藩の武士の子弟を集めた「藩校」などの官立の学校に対して、「私塾」と呼ばれる非常に自由でユニークな学問の場として機能した塾が全国にたくさん存在した。

そこでは、官立の藩校では学ぶことのできない、最新の学問や思想、師の独自の見解を通して、多種多様に学ばれ、塾生同士の自由闊達な議論がなされた。

結果的に私塾は幕末期に江戸幕府を倒す勢力を生み出す源泉の一つともなった。

 

当代切ってのすぐれた学者が開いた塾(尾形洪庵の適塾、佐久間象山の象山書院)もあれば、一線を退いた教養人のもとで学ぶ塾(中江藤樹の藤樹書院、吉田松陰の松下村塾)もあった。

多くは誰もが認める超一流の文化人が営む学問の場であった。

 

しかし中には、当時としては少々「危険な」香りのする塾もあった。

 

ドイツ出身の学者シーボルトが長崎で開いていた「鳴滝塾」では、たくさんの若い蘭学者が集った。

しかしシーボルトは日本で収集した標本を国外に持ち出したことで国外退去処分になってしまう。

幕府から危険視されたのだ。

 

大塩平八郎は「洗心洞」という塾を開いていたが、腐敗した幕府に対して弟子とともに決起し、壮絶な最期を遂げた。

大塩の乱である。

 

松下村塾の吉田松陰は公式的には幕府の謀反人でもあった。

その後、再び幕府によって捕らえられ、安政の大獄で獄死してしまう。

 

このように幕末期の私塾には、結果的に反体制的な塾もあった。

しかし、藩の出身や階層にかぎらず、真に学問を志す者にとっては平等に開かれた学問の場であったし、現状に甘んじることのない革新的、先進的な生きた学問を論じる場でもあった。

ここから「塾」というものは、官立的なるものに対する相対的な立場であり、アンチテーゼ(反対の立場)であり、常に既存のものに対して懐疑する立場の存在でもあった、と私は考える。

 

もちろん現代の塾は幕末期の私塾とは違う立ち位置であることは承知している。

しかしながら幕末期の私塾も現代の学習塾も、通う塾生の支持なしには存在できない場であることは共通している。

塾の存立基盤であるための財源が、決して公立の官からではなく、通塾者もしくはその保護者からによる私的なもの以外からはないのは言うまでもないことなのである。

 

そうであるがために、塾はいつの時代も本音が通じる場所であるし、現実的な場所であり続け、既成概念に対して不都合なことがあれば真意を問いただすことができたのではないだろうか。

だから私は、学校が「太陽」で塾が「月」だとする立場は取らないし、塾という市井の特異な学問の場はもっともっと可能性があるし、塾は従来の学校制度にはない無限の未来を秘めていると確信している。

 

Ⅳ 教養堂の存立基盤と塾長とは

翻って我が教養堂について書いてみたい。

まず現代の学習塾であるため、対象年齢は小学1年生からとし、学校教育の補完的な内容を指導内容の一つとはしている。

これについては、小学1年生から中学3年生までの義務教育と大学入学前の高校教育が一定の学問水準として必要であるからだと私自身認識しているためである。

教養堂が掲げる指導方針の内においては、最大限、保護者様のご要望にお応えすべきだと考えている。

なぜなら教養堂の存立基盤が保護者様に依るものであるからだ。

 

教養堂には、学問を指導する中で知的好奇心と教養をも育みたいと考えている。

その塾の理念から照らし合わせてみれば、知的好奇心をもって教養を育むためには、それがバランスの取れた教養であればこそ、思考の基盤とすることができる近代までの総括的な学問、つまり現在の学校教育で行われる基礎学習内容は大いに高めなければ実現しないと考えている。

だから日々の学校の定期テストや入学試験には十分な対策を講じておくことは、保護者様のご期待に応えると同時に、塾の理念をも同時に叶えることでもあると認識している。

 

しかしながら、従来の教育に対する不信感は少なからずある。決してこれまでの教育が良かったとは言い切れない。これからの時代に生きる子どもたちには十分ではないと考えている。

教養堂では、常に原理原則を確認し、それが成り立った経過や論理の仕組み、複合的な学び、総合的な観点、そして実生活やその子が思考する基盤に還元できる内容をも包括できる学びを促していきたい。

 

もちろん私自身まだまだ未熟な学徒に過ぎず、ゆえに塾生とともに一緒に学んでいくしかないという心持ちで、今は不勉強を補うしかない。

だから「教養堂塾長」を名乗ってはいるが、本当は教養堂塾生の中でたまさか先頭に立った者であるという意味の、「教養堂塾頭」の方がしっくりくる。

ただ一般的な呼びならわしで「塾長」を名乗っているにすぎず、教養堂の真の塾長は、古今東西の知の巨人であり、古典を生み出した偉大なる先人たちであることは言うまでもない。

 

Ⅴ 教養堂の独立・自治・自由

では、教養堂における塾の先生としての資格について書いてみたい。

 

私にとっては、免許については関係がないどころか、むしろそういうものがあるのなら、塾として自殺行為に等しいものだとも考えている。

免許を取るということは免状を発行する側の影響下に自らすすんで入ることであるからだ。

 

真に自由な学問を志向するなら、何らの制約があってはならないし、自治と自由を実現するためにはどんな支配も受けてはならないものだと考える。

よしんば塾が公的な何らかの制度下に入ることでもあれば、それは自滅の始まりである。

またもしある塾が、理念も方針も全く違う他の塾となんらかの連帯を組んで、その中で通用する免許制度や認定制度のようなものを作ることも同じである。

 

Ⅵ 教養堂における塾の先生としての資格

私は塾の先生に「免許」はいらないとは考えているが、塾の先生であるためには「資格」は必要であると考えている。

最後に、教養堂における塾の先生の資格について以下に書き留めておきたい。

 

・嘘を言わない。

 塾生、保護者様へはもちろんのこと、冗談でも嘘を言うことはしてはいけないと考えている。

 塾というのはこれまで述べてきた通り、塾と塾生との間には信頼関係しかないからであり、それが最大の塾の強みであるからだ。

 塾の先生と塾生との信頼関係は、まずは言葉ありきであり、指導者は言葉を大切に扱うべきである。

 また、たとえ塾以外の場所でも、直接間接的に嘘を言うことは、塾で教える資格はないと私は考えている。これは自分の戒めとしておきたい。

 

・常に前を向く。

  後ろ向きな道へ導かず、光ある道を示し続けたい。

  その姿勢を示すには、前向きな言葉遣いをすることから始まる。

  長いようで短い人生、口へ運びたいのはおいしい食べ物であるし、口から発するのは綺麗な言葉でありたい。

 

・少しのことでも喜びあう。

  勉強するということは、勉強する前の自分とは違う新たな自分に出会うことであり、それは祝福すべきことである。

  まずはこうして勉強できる環境に置かれていることでさえも幸せをかみしめたい。

  特に塾は夜間の学習時間が多い。夜に照明を明々と照らして年の若い塾生が安心して勉強ができるのには、まず平和であり安全であることと、それを支える社会の豊かさが担保されていることが前提である。

 

2019.12.22.

冬至の夜に

 

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