こんな話 2018年2月10日|土曜日
テーラー黒木さんとスーツの仕立て話
ロンドンのサヴィル・ロー・ストリートにはテーラーメイドの老舗が軒を連ねる。
「サヴィル・ロー」で作られた紳士服が文明開化の波に乗って明治に入って、それが「背広」になる。
だから、「背広」はどこか文明開化の香りがする。
スーツよりも背広と言った方がしっくりくる。
名古屋にもいくつかビスポーク・テイラーがあって、私は一つのお店だけに通い続けている。
ビスポークとは、Be Spoken つまり店員と客があれこれ話しながらスーツを作るというのが由来らしい。
その店のテーラーで若手ながらも実力のある黒木さんは、偶然私の担当になり、以来何着作ったかもう忘れてしまった。
黒木さんはいつも私の体型を一目見てサイズを微妙に調整してくれる。
塾の講師をやっている、と伝えていて、私の好みやサイズも分かっていただいているし、どのような着方をするかも承知だ。
私の好みのスーツは基本的に伝統的なブリティッシュスタイルだ。
ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画「ラストエンペラー」で坂本龍一が悪役の甘粕大尉役で出演しているのだが、最初の登場シーンで着ているスーツが本当にすばらしいと思っている。
10秒足らずしか映っていないのだけれど、ハッとさせられる。DVDでそのシーンだけ何回再生したか分からない。
イタリア人が製作に関わっていた映画だからか、さすがにデザインセンスがいい。
ブライアン・デ・パルマ監督の「アンタッチャブル」は中2の時に映画館で見た。衣装担当がアルマーニだったが、禁酒法時代の再現された豪華なスーツは本当にかっこよかった。いまだに影響されている。
だいたい好きな映画からアイデアが出る。
1930年代のフランス映画初のトーキーの名画、ルネ・クレール監督の「巴里の屋根の下」で、その主人公が着ていたサファリっぽい服がずっと印象に残っていて、それをモチーフに再現したことがあった。今のところ、それが一番の最高傑作だ。
新しく作ったスーツは毎年「正月特訓」の授業で初めて袖を通すことにしていた。
黒木さんは武器商人のように話す。
-最近、こういう素材が入りまして。これなんですが、どうぞ触ってみてください。
と、長いまな板のようなものに巻かれた織物をそのまま運んで見せてくれる。まるで北海道から直送された塩鮭のようだ。
-あ、いいですね。これ。
まだ仕立てる前の織物の状態だが、これが何とも言えない。
または正方形に切った布切れのサンプルの束を渡してくれる。
一枚一枚、手で感触を確かめる。
傍目に見たら、ちょっとおかしい。
とにかく親指と人差し指でつまんで、ページをめくるように布地を確かめる。
結局、素材に尽きる。
ディティールは最後になる。
黒木さんと塾講師仕様のスーツをこれまでに試行錯誤して作ってきた。
例えば、塾講師は授業の時に塾生にお尻を向ける。
客に尻を向けて失礼にならないのは、あと指揮者ぐらいだろう。
だから、ズボンの後ろのポケットに気を使いたい。
ボタン仕様のポケットだと、ボタンが留め忘れているのはちょっと野暮というもの。
さらにポケットから何かを出して裏地がはみ出しているのは、清少納言が見たら「いとわろし」とコケ下ろされるだろう。
黒木さんと相談して、いかにすっきり見せられるか?を工夫した。
最初はフェイクポケットはどうか、ということになった。
つまりポケットはないが、ベロと呼ばれる部分だけを縫いつける装飾のパターンである。
うしろをすっきり見せたいのなら、もともとポケットに何も入れない方がいい。
ポケットの機能も無しにしようということになった。
さらになにも装飾をつけないようにすればもっとすっきりするから、ポケットの形状そのものもなくしてしまおうとなった。
これは気に入って、潔く粋な感じがする。
質問対応する時のペンをどう収めるかも試行錯誤した。
はじめはワイシャツの胸ポケットに質問対応がすぐできるようにペンが差せる縦ポケットを仕切って付けた。
どうもしっくりこない。
次に左腕の袖の上部にペン差し用のポケットをつけた。
良いアイデアだったが、実用性に乏しかった。
そもそもワイシャツにペンを差すとワイシャツが痛む。
そこで、筆記具は上着の内ポケットに差すことにした。
だからまずワイシャツの胸ポケットをなくした。
そして上着の内ポケットには、赤ペンなど質問対応の時の筆記具がいつでも取り出せるよう工夫した。
ずれないように収まるペンのサイズに合わせた細い内ポケットを2か所作った。
そのお店にある、私専用のオーダーカードには一着ずつ進化していくスーツの歴史が刻まれる。
オーダーカードには使用した布地の一部を正方形に小さく切って貼ってある。
どんな生地でどのような仕様なのか、事細かく記入されている。
時にはド派手な生地もある。
-ああ、これやっちゃった時だな。魔が射した時のものだ。
失敗したことも数知れず。
さらにウエストをはじめとする細かいサイズが書き込まれている。
30代半ばから、首、ウエスト、胸の部分のサイズの大きさが徐々に右肩上がりになっている。
私の仕事人生の歴史であり思い出でもある。
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