本の紹介  2018年6月30日|土曜日

『解説者の流儀』

25年前のロシアの思い出

2018 FIFAワールドカップ ロシア大会が開催されています。

 

大学生の頃、たしか1992年の夏にヨーロッパへ貧乏旅行に行く途中、モスクワに立ち寄ったことがありました。

ソ連からロシア連邦になったばかりで、ヨーロッパへ行く航空券で一番安いのがモスクワ経由のアエロフロート便でした。

名古屋空港(小牧)からハバロフスクで一旦給油、モスクワで一泊、翌日ベネツィアに入りました。

 

行きの便ではシートベルトが切れていました。

CAさんに申し出たら、

あれこれシート周りを点検したあと、

「хорошо」ハラショー(大丈夫)

と言ってどこかへ行ってしまいました。

 

 

モスクワに着くと、夜の11時なのにまだ明るくてびっくりしました。

白夜ではありませんでしたが、それに近い感じで夜の2時過ぎにはもう陽が昇り始めていました。

時差ぼけに加えて、高緯度の日の長さに完全に体内時計が狂いました。

 

モスクワで観光ガイド付きのミニツアーに参加して、赤の広場やモスクワ川に行きました。

赤の広場では、旧ソ連軍放出のソ連製手巻き腕時計を1個500円くらいで売っていました。

ロシア語でソ連のことをCCCPと頭文字で書きますが、その印が入った武骨の時計、その時は買わなかったのですが、今思うと記念に買っておけばよかったかなと後悔しています。

唯一買ったのは、マトリョーシカでした。1式2000円ぐらいでしたが、今でも自宅に飾っています。手作りですごくしっかり作ってありました。

しかし、ロシアと日本では気候が違うのか、日本へ持ち帰ったら木が締まった感じになり、はめるのにすごく力が要るようになりました。

 

あの当時のロシアはソ連崩壊の経済混乱からようやく立ち直ろうとしていた時期でした。

車もすごく古くて、すすだらけの車しか走っていませんでした。

モスクワで初めて開業したマクドナルドの前には長い行列ができていました。

近代的なマンション群があるのに、舗装していなかったり、町のど真ん中にいきなり広大な白樺林が広がっていたりして、日本の感覚と全く違いました。

ですから、今テレビで見るとすごくきれいになったなと思います。

 

 

戦時中の戦況報道とスポーツ報道

日本代表は1次リーグ突破を果たしました。

ワールドカップはいつも録画かニュースでしか見ていませんが、楽しみの一つです。

 

サッカー中継に欠かせないのが、実況アナウンサーと解説者です。

 

歴史の教科書で習うことではありますが、戦争中のマスコミ、主に新聞報道はほとんど軍部の大本営からの発表をそのまま流していました。

ミッドウェー海戦などは、日本側はかなりの大敗を喫しましたが、国民の戦意をなくすような報道はされませんでした。

これは現在のスポーツ報道でも、見られることではないでしょうか。

戦時中の報道とワールドカップの報道を比較すれば、あらたな発見があります。

 

戦意をあおるという意味ではそうした報道の「伝統」が今のスポーツ報道には綿々と受け継がれている気がします。

実況アナウンサーが絶叫するような所は「講談」の発声法に似ています。

「講談」が「スポーツ実況」に変わったと見立てれば、庶民のカタルシスの解放が形は変われどいつの世も存在していると見ることができます。

 

伝家の宝刀「手のひら返し」

また、報道の「手のひら返し」も日本のお家芸だと思います。

マッカーサーも戦中と戦後では全く評価が違っていました。

戦後では、マッカーサー夫人がどこそこで何を買ったかとか、そういうニュースが人気だったりしました。

 

今でもスポーツの国際大会で海外で行われたりすると、勝ったか負けたかで、帰国してくる選手の扱いが雲泥の差になります。

帰国が要注意ですね。

 

読めない国内世論

1905年のポーツマス条約では、日露戦争でロシアに勝ったにもかかわらず賠償金が得られなかったということで、新聞はじめ国内大ブーイングでした。悲願の旅順・大連の租借や南満州鉄道などの利権は得ることができたので、戦況から考えるとそんなに批判することはなかったと思うのですが。

全権使節団はさぞ帰国するのが嫌だったことでしょう。のちに日比谷焼き討ち事件まで起きてしまいました。

 

1933年では満州国が国際連盟に認められず、ジュネーブで行われた国連会議で当時の松岡洋祐外相は席を立って、国際連盟を脱退してしまいました。

日本に帰国するときは批判を覚悟のうえでしたが、本国では逆に日本の主張をよくぞ押し通したということで歓迎ムードでした。当の本人はさぞ驚いたことでしょう。

日本が孤立化する一つの契機になる重要なポイントのはずだったのですが、慎重論より一時のムードが世論を誘導します。

 

島国の日本ならではだと思いますが、海を越えて帰ってくるということで、国民が迎える姿勢がそれまでの報道によって決まってしまうのですね。

結果に対して帰国のタイミングが微妙にずれているので、本国側も良くも悪くも迎える姿勢を整えていて、主役が帰国するのを今か今かと待っているわけです。

良い結果ならいいのですが、悪いと最悪です。

 

 

 

 

教養堂の棚からひとつかみ、今回はこちら。

 

『解説者の流儀』 戸田和幸 著

 

 

2002年 ワールドカップ 日韓大会の時にディフェンスで活躍した戸田選手が解説者として本を出していました。

たしかフル出場されていましたが、その時は赤い髪でモヒカンでした。

 

ここで強調されているのは、サッカーはとにかく全体で俯瞰して見ないと分からないということです。

氏が番組に出演して解説を頼まれる時に、一番困るのは、

「今度の試合、注目すべき選手は?」と聞かれることだそう。

 

サッカーは一人の力で動くものではなく、全員が作り上げていくもの。

一人の動きだけを注目するものではなく、ボールを持っていない選手でも、そのゲームの重要なカギを握っている場合もある。

 

そこからどういう意図で監督や選手がゲームを組み立てているのか、「戦術」も含めて分かりやすく伝える、そんな姿勢で臨んでいるのだそうです。

例えば、攻撃の時に誰が「起点」になったのか、これは解説者それぞれの考え方で意見が違うそうです。

そこが解説者の腕の見せ所というわけです。

 

ある事象が、それは現在進行形で動いており、刻一刻と変化していく事態でも、それを捉えて言語化していく作業というのは、本書でも触れられていますが、正解のない挑戦の連続です。

あらためて解説者の言葉に注意してみたくなります。

KEYWORDS

お問い合わせ

top